【国際】エジプトでモルシ派拠点を強制排除、死者638名に
軍による事実上のクーデターでモルシ前大統領を解任、最高裁判所長官のアドリー・マンスール氏が暫定政府の大統領を務めているエジプトで14日、治安部隊によるモルシ前大統領支持派の強制排除が行われました。モルシ派と治安部隊の衝突はエジプト各地に拡大し、現在の情報では死者が638名、負傷者は約4000名となっています。この状況を受け、エジプト暫定政府は一ヶ月間の非常事態宣言を発令、カイロなどの主要な都市に午後七時から翌朝午前六時までの夜間外出禁止令を出しています。
暫定政府が制圧を発表したのは、カイロ北東部ナスルシティーのモスク(イスラム教礼拝所)前の広場。治安部隊の完全包囲で取り残されていた一部デモ隊が、治安部隊側が設けた脱出路を通って退去した。カイロ大学前広場については、これに先立ち排除完了が発表されていた。モルシ派は14日、カイロ大学近くのモスク前広場を新たな座り込み場所として指定、集結を始めたが、その後、治安部隊により排除された模様だ。
(読売新聞)
北部アレクサンドリアや北東部スエズ、南部アシュートなどでモルシ派と治安部隊が衝突、混乱は全土に拡大した。
(新潟日報)
政府が全土に非常事態を宣言するなか、モルシ氏を支持するイスラム原理主義「ムスリム同胞団」は15日午後(日本時間同日夜)もデモを実施。カイロ近郊では一部が行政施設を襲撃、数名が逮捕された。同胞団は金曜礼拝日にあたる16日にもカイロでデモを実施する予定で、治安部隊と再び衝突する可能性もある。
(日経新聞)
このように、エジプトの首都・カイロから始まった衝突は各地に拡大、大規模な衝突に発展しています。非常事態宣言のためか、一時平穏を取り戻しているとの情報もありますが、一方でモルシ前大統領を支持するムスリム同胞団は16日にもカイロでデモを実施する予定となっており、ふたたび衝突が起こる可能性があります。
この大規模な衝突を受け、暫定政府の副大統領を務めるエルバラダイ氏は「平和的な解決方法があった」として副大統領を辞任。イギリスのキャメロン首相をはじめ、アメリカやオーストラリア、トルコ、フランスなどから非難の声が上がっています。
さて、このような事態に陥った経緯をあらためて見直してみましょう。
ことの発端は2011年に発生したムバラク大統領の退陣を求める大規模デモです。
ムバラク氏は軍人としての功績を認められて1975年に副大統領に任命、1978年には国民民主党の副総裁となり、当時の大統領であったアンワル・アッ=サーダート氏の後継者として有力視されるようになります。1981年にサーダート氏が暗殺されると、後継の大統領に就任、以降約30年にわたる長期政権を築き上げます。ムバラク氏はサーダート氏の暗殺を受けてエジプト全土に非常事態宣言を発令し続け、強権的な統治体制を敷き続けました。そのため、政府人事はムバラク氏のシンパで硬直するようになりました。
2000年以降、ムバラク氏は経済成長のため外貨導入を積極的に行うようになります。それによりエジプトの経済は急速に成長する一方で、若年層の失業率が高まり、物価も高騰しました。こうした要因から、ムバラク氏打倒の機運が高まってきていました。
おりしも2011年、チュニジアで独裁政権を打倒する「ジャスミン革命」が発生、それを受けてエジプトでも政権打倒の動きが高まります。2011年1月25日、カイロやアレクサンドリア、スエズなどで大規模な反政府デモが発生、治安当局は強制排除を実行します。それでもデモ隊は抑えられず、むしろ拡大の一途をたどります。
2011年2月11日、全国で100万人を超えるとされるまでに発展した反政府デモに対し、ムバラク大統領は退陣せざるを得ず、全権を一時的にエジプト軍最高評議会に移譲しました。エジプト軍最高評議会は事態を収拾するため、一時的に全権を掌握して憲法を停止、半年以内に憲法改正と大統領選挙を行うものとしました。
2012年6月、大統領選挙は後ろ倒しになりながらもなんとか行われ、前大統領であるモルシ氏が大統領に就任します。ムバラク氏の長期政権後、初の民主政権となりました。しかし、モルシ氏はイスラム主義政党の出身であることから、イスラム教徒優遇政策がとられるのではないかと世俗派から懸念がもたれ、事実その通りになりました。また、政情不安によるインフレで食料品の価格急騰や石油の不足、失業率の上昇、経済成長の鈍化など、ムバラク元大統領以上に国内経済は不安定化していきました。
そのような状況もあり、モルシ政権1周年にあたる2013年の6月30日に大規模な政府支持デモと反政府デモが計画され、その数日前から治安部隊とデモ隊との衝突が繰り返されていました。その後暴徒化したデモ隊を抑えるため、エジプト軍部が事態の収拾を図ります。結果、7月3日にはシシ国防大臣がモルシ大統領から大統領兼を剥奪、憲法を停止し大統領選挙を行う、と表明しました。
このとき、ムバラク政権打倒の際に花火をあげて喜んだエジプト市民の多くが、再び花火をあげて喜んだのでした。
しかし、モルシ前大統領支持派と反政府勢力の対立が解消されたわけではありません。ムバラク氏打倒の際には手を取り合った仲ですが、その後の政権運営において主義主張を異にする両者が今度は対立する構図となっています。両者の緊張が高まっており、大規模な衝突が起これば内戦に発展する可能性もある、というのが現在のおおまかな状況です。
イスラム勢力であるモルシ前大統領支持派と反政府勢力である世俗派との対立は今に始まったことではないようです。
市民の不安は、今回の事態が、ムスリム同胞団が厳しい弾圧に遭い、政治家の暗殺を計画するなど過激化した、1960年代の再現となることだ。その後、ムスリム同胞団は、1981年に、当時のサダト大統領暗殺に関与したとされ、政府が非常事態を宣言した。その後のムバラク政権下では、3万人もの反体制活動家が投獄の憂き目にあう事態に陥っている。
(ニュースフィア“400人以上が死亡 なぜエジプトの衝突が拡大し続けるのか?”)
ムバラク氏の前に大統領を務めていたサーダート氏の暗殺にはイスラム勢力であるムスリム同胞団が関与していた、とされています。サーダート氏が大統領であった時期、ムスリム同胞団は激しい弾圧にあっています。その背景があって、モルシ派と世俗派の対立があるようなのです。ムバラク政権下では全土に非常事態宣言が発令されていたため表立つことがなかったようですが、ここへきてその対立が深まっています。モルシ氏の親イスラム的な政策はその対立に火をつけたようなものだったのではないでしょうか。その対立が解消されない限り、エジプトの真の民主化は難しいように思います。
軍を支持し、ムスリム同胞団をテロリストと呼ぶ市民。軍事政権の復活を危ぶむ声。イスラム教徒の多い農村部で静かに広がる不満と怒り。
(ニュースフィア“400人以上が死亡 なぜエジプトの衝突が拡大し続けるのか?”)
エジプト国内には内戦の火種があちこちでくすぶっているようです。
【ニュースソース】
エジプト 全土で衝突200人超死亡 モルシ派を強制排除 非常事態宣言
東京新聞
エジプト、強制排除で200人以上死亡
中国国際放送
エジプト・デモ強制排除 一夜明け、カイロ市内は静かな状態
FNN
エジプトデモ強制排除で死者278人
日刊スポーツ
強制排除で421人死亡〜エジプト保健省
読売テレビ NEWS&WEATHER
エジプト、強制排除と各地衝突で死者421人に
中国国際放送
エジプト、非常事態宣言-デモ隊を強制排除、死者421人以上
ブルームバーグ
エジプト政府、「14日の衝突の死者は525人」
イランラジオ
エジプトで前大統領派強制排除、全土に非常事態宣言
TBS News
エジプト・デモ強制排除 全土に広がった衝突で525人が死亡
FNN
強制排除、死者525人に エジプト
日テレNEWS24
エジプトのデモ強制排除、死者525人に 負傷者は3700人超
北海道新聞
エジプト強制排除 死者525人 けが3700人以上
テレビ東京
エジプト強制排除で衝突、死傷者5千人近くに
TBS News