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【社会】「国旗国歌を強制」と記述の教科書が神奈川県立高校全校で不使用に

神奈川県の教育委員会は6日、「国旗国歌を強制」と記述している実数出版(東京)の日本史の教科書の使用を希望していた県立高校が希望を変更したことを明らかにしました。7月10日時点では神奈川県立高校のうち28校が使用を希望していましたが、県教育委員会は「不採択になる可能性がある」として各校長に再考を促していました。

 

このニュースには大きく分けて論点が二つあります。

  1. なぜこの教科書の記述が問題になったのか
  2. なぜ県教委が使用教科書の再考を促したことが話題となっているのか

二つの論点を切り分けてこのニュースを見ないと混乱してしまいますので、以下、論点を二つにわけて書いていきます。

 

1.「国旗国歌の強制」がなぜ問題になっているのか

この記述が問題となったのには次のような理由があります。

 

都教委が各都立高校に実教出版教科書の事実上の不選定を求めたのは、同教科書が「強制」という表現を使い、国旗掲揚、国歌斉唱という法に基づく指導を否定的に記述しているためだ。

(MSN産経ニュース“国旗掲揚と国歌斉唱を「強制」と記述の教科書 都教委が「不適切」通知”)

 

「強制」には否定的な意味合いが込められています。平成11年に成立した国旗国歌法では、国民に国旗の掲揚や国歌斉唱を強制するものではないと明言しています。また、昨年11月、教員に国歌斉唱時の起立を校長が職務命令として求めたことに対する裁判でも、最高裁判決で合憲とされています。政府ならびに県教委の方針とは異なる、という観点から、実数出版の教科書が「不適切」とされたのです。

 

入学式や卒業式のシーズンになると、「国旗掲揚、国歌斉唱の強制」がたびたびニュースに取り上げられます。国旗国歌法では「強制ではない」としていますし、教師に対して職務命令として国歌斉唱の際の起立を求めることは合憲とされています。法律上も過去の判例上も「強制ではない」とされていますが、それだけでは片付けられない問題が根深くあるようです。

 

「日の丸」・「君が代」は、かつての軍国主義日本のシンボルとして、文字どおり侵略の旗印としての役割を果たしてきた。だから、そういう旗や歌を、掲げたくない・歌いたくない、見たくも聞きたくもない、と思う人がいても不思議ではないし、現にいる。

(中略)

では、もしも国旗・国歌が「日の丸」・「君が代」でなかったならば、強制しても問題ないということになるのであろうか。そうではないはずである。

(中略)

私たちが、「日の丸」を掲げ、「君が代」を歌うとき、程度の差はあっても、「自分は日本国民(日本人)だ」ということを意識しているであろう。日本という国の一員であるという意識、しかもそのことを肯定的にとらえる意識である。言いかえれば、国家への帰属を自己のアイデンティティの基礎(の一つ)とする意識である。そういう意識をもつことが悪いというわけではない。しかし、そういう意識を持つべきだと、他から、ましてや国家公権力から、強制・干渉されるいわれはない。自己のアイデンティティの基礎をどこに求めるかは、まさに個人個人が自分で自律的に決めるべきことだからである。それは、憲法13条のいう「個人の尊重」の一番根源である。国旗・国歌の強制は、国家の一員であることを肯定的にとらえる意識を持て、国家への帰属を自己のアイデンティティの基礎とせよ、と強制されるに等しく、「個人の尊重」のもっとも根源的な部分への侵害となるのである。

(法学館憲法研究所“国旗・国歌強制のほんとうの問題”)

 

この記述によると、国旗掲揚・国歌斉唱を求めることは国への帰属意識を高めることにつながり、憲法に定められている「思想信条の自由」を侵害するものである、としています。それがひいてはかつてのナチスドイツのような「全体主義国家」につながる、としている点はさすがに言い過ぎのようにも思いますが。

 

上記の記述のように、国旗掲揚・国歌斉唱が国に対するアイデンティティを示すものだとするならば、それに対してどのような対応をとるかは自由でかまわない、と思うところもあります。国旗国歌は国を表す記号ではあっても、国そのものではないわけですから。

 

参考として、世界各国の国歌斉唱事情について書かれているブログがありましたので、ここにご紹介します。

 

 

ただ、この記述もおおまかに言うと「欧米の先進諸国では国旗国歌の強制はなく、アジアや中東では強制がある」という主張に見え、やや偏った誘導をするようにも受け取れてしまう点にご注意ください。

 

※公立学校の教諭に限定していえば、その職務権限が国家によって認められている以上、その国旗国歌を侮辱する、というのは自身の職務権限のみなもとを侮辱している、ということになります。日本の政治家がその職務権限をつかって反日活動をしているのと同等と捉えることもできてしまいます。そういった観点でみると、国旗国歌への過剰な反応には疑問を感じてしまいます。

 

2.なぜ県教委が使用教科書の再考を促したことが問題となっているのか

県教委が校長側に再考を促す際、「採択の結果発表で実教出版を希望していた学校が明らかになれば、さまざまな団体からの働き掛けで混乱する可能性がある」と伝えていたことが分かった。県教委は「脅したわけではない」としているが、今後調査する予定。

東京新聞

 

このように、県教委が各校の校長に対し、脅しともとれるやり方で再考を促していた、との報道も見られます。また、県教委が教科書選定を促したこと自体に対し、

 

教科書選定の再考要請は異例。具志堅幸司委員長は6日「県の方針と異なる教科書が希望されず良かった。再考を求めたことは問題ない」と話した。元教職員らでつくる市民団体は「再考要請は不当介入だ」と反発している。

(47NEWS)

文部科学省によりますと、教育委員会が主体的に教科書の調査を行い採択するのは、極めて異例だということです。

(NHK)

 

として異例の事態と報じているメディアも見られます。

 

そもそも、使用する教科書を選ぶ方法に法的なしばりはありません。通例では政府の教科書検定に通った教科書から各校が生徒の学習レベルや教育方針によって選んでいます。現場を良く知る各校が選ぶのが一番良い、とする考え方もありますし、一方で法的拘束力がないのだから県教委が選ぶことも何ら問題ない、とする考え方もあります。決まりがあるわけではないので、どちらであろうと本来は問題ないはずなのですが、今回のケースでは神奈川県教委が少々やりすぎてしまったようです。

 

県教委が教科書をえらぶことの是非はともかく、神奈川県教委の脅しともとれるやり方は問題となるでしょう。

 

 

【ニュースソース】

教科書再考問題 全28高校が希望変更 神奈川県教委「不当ではない」
東京新聞

国旗・国歌を「強制」記述の教科書、全校が「ノー」 神奈川県立高
MSN産経ニュース

市教委が教科書採択に積極関与 大阪、異例方針に懸念も
47NEWS

神奈川県の28高校が選定見直し 歴史教科書、再考要請受け
47NEWS

全28高校が希望変更、県教委の日本史教科書介入受け/神奈川
カナロコ(神奈川新聞)

「強制」記述教科書不採択へ 神奈川県教委委員長安堵 「使用希望なくてよかった」
MSN産経ニュース

神奈川県立28高校、日本史教科書を実教出版から変更
asahi.com

日本史教科書選択、28高校が変更…県教委要求で
読売新聞

大阪市教委 主体的に教科書選定へ
NHK

神奈川県教委:指導で28高校が教科書変更 国旗「強制」記述巡り
毎日新聞