【国際】エジプトでデモ隊衝突・・・アラブの春は失敗だったのか?
エジプト北部の北部マンスーラやアレクサンドリアで26日、モルシ大統領支持派と反政府派のデモ隊が衝突し、2名が死亡、約240名が負傷する事態となりました。30日でモルシ大統領就任から1年。節目を前に大統領辞任を求めるデモが暴徒化しており、各地で緊張が高まっています。
エジプトでは、民主化運動「アラブの春」でムバラク政権が崩壊したあと誕生したイスラム組織出身のモルシ大統領に対し、若者たちが、経済や治安がさらに悪化したなどとして、大統領の退陣を求めるデモを28日から行おうと呼びかけています。
(NHK)
2011年1月、ムバラク大統領の独裁政権下のエジプトで民主化を求める大規模なデモが発生しました。報道によると、TwitterやFacebookなどを通じてデモは拡大、2月にはムバラク政権崩壊に至りました。この動きはチュニジアのジャスミン革命に触発されたもので、TwitterやFacebookなどのSNSが市民運動を活発にする良いツールである、との認識が日本国内で広まりました。それを受けて、日本国内で発生した大規模な反原発デモ、いわゆる“紫陽花革命”が起こった、と見る向きが多いようです。
(※紫陽花革命の実態については“【私見】“紫陽花革命“ってその後どうなったのだろうか?”もご参考になさってください)
一見すると成功したかのように報道されていたエジプトの民主化革命ですが、現実は異なっていました。
独裁者・ムバラク前大統領という「共通の敵」に立ち向かっていた時は一枚岩であった革命勢力も、その共通の敵を失うや、それぞれがそれぞれの立場で異なる方向を目指し始めているのだ。
ムバラク政権崩壊後、一時的に軍部が政権を掌握したとはいえ、その後文民出身のモルシ大統領が就任、軍事政権の影響力は小さくなってきています。しかし、民主化革命後、エジプトは迷走しています。上記のブログ記事にあるように、エジプト革命をなしたデモ隊が内部分裂を起こしています。政権打倒は確かに成功したようですが、その後の国の立て直しがうまくいっておらず、「ムバラク政権のほうが治安もよく経済も安定していた」と革命の成果に失望する声も上がっているようです。
アラブの春のさきがけとなったチュニジアのジャスミン革命でも、事態は変わらないようです。
若者たちが期待したのは、水と油をひっくり返すことであったのだが、革命によって一時的に水と油が混濁したものの、落ち着いてみれば、この図式は何も変わっていなかった。
独裁者は去った。しかし、それは表面的な事象に過ぎず、独裁者を支えていたピラミッドのような大きな土台は健在だったのである。
革命後も仕事がないチュニジアでは、若者たちの「淡い期待」は、たちまち「失望」へと変わった。
チュニジア、エジプトとも、革命の立役者となったのは理想に燃える若者たちでした。高い失業率と貧困に喘ぐ若者たちが自分たちの境遇をなんとか改善しようと立ち上がり、政権打倒に至りました。しかし、革命がなされた、といっても結局のところ国の頭がすげ替えられただけで、若者たちの境遇改善には至っていません。むしろ政権交代の混乱で観光産業が大打撃を受け、経済はさらに不安定化、境遇の悪化した市民が改善を求めてデモを行う・・・という悪循環にはまっています。こうした状況を鑑みて、「アラブの春は失敗だった」とする識者もいるようです。
もちろん、アラブの春が起こってから2年程度、まだまだ政権交代の混乱期でそれを「失敗」と断ずるのはまだ時期尚早だとも思います。しかし、世界的な傾向なのでしょうか、昨今の人々は「待つ」ということが苦手になってきているようにも思います。上記ブログによると、チュニジアでは革命後も仕事にありつけない若者たちが失望して次々と国外に脱出しているそうです。
結局のところ、彼らが求めていたのは「自分たちの境遇をよくしてくれる誰か」であって、「自分たちで自分たちの境遇をよくすること」ではなかったのではないか、と思ってしまいます。そういう目で考えると、アラブの春は「革命」と呼ぶに値しないものだったのかもしれません。
【ニュースソース】
エジプト大統領、憲法改正独立委員会設立の考え
中国国際放送